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森永一衣さん通天閣コンサートに参加して

[2025.07.10]
昨日は敬愛する山本浩二画伯の奥様 森永一衣さんのコンサートに。通天閣の真下に位置する有形文化財 ギャラリー再会(https://osaka-bunkazainavi.org/.../%E3%82%AE%E3%83%A3%E3...)で行われた。昭和28年に出来た建物は昔のままで浩二画伯の絵と共にピカソや藤田嗣治らの巨匠の絵が無造作に壁に掛けられており不思議に落ち着く時間が止まっているような感覚を覚えた。ミラノ在住の一衣さんの歌はイタリアのオペラから民謡、日本の歌と続いた。特に後半のナポリ民謡、日本の歌に私は引き込まれ時間が経つのを忘れていた。ギャラリー再会の空間、そして一衣さんの歌の素晴らしいマッチング、生で聞く醍醐味はこれだ。
コンサート前にランチを済ませた。通天閣と言えば串カツ。外人いっぱい状態の中で並んでいないお店を探し入店。外人の男の子に二階が涼しいと言われ二階席に。注文の女の子は飲み物を聞いた後QRコードのある紙を持ってきて片言の日本語でスマホで注文と言って去っていった。スマホに慣れていないヒトには大変な世の中になっているなと実感した。それにしても客に外人が多く、店員のほとんどが外人になっているのにも納得させられた。味は意外にさっぱりしておりいくらでも食べられそうで通天閣名物になっているのが素直に頷けた。
山本浩二画伯の絵に初めて出会ったのはコロナ前に行われた芦屋の個展だった。気さくな画伯は私にご自身の抽象的な絵についてわかりやすく説明してくださった。様々な曲線が重なりあったような構図、近くで見ているとただそれだけなのだが距離を置いて眺めると忽然と絵の訴えるものが眼前に現出する。私はその時この強烈なメッセージをデジャブの様に感じていた。昔見たことがある・・・。
その後お会いした萩(山口)での個展の折、画伯にお話した。‘画伯の絵を見ていると大好きな雪舟の破墨山水図を思い出しました’ と。画伯はそれに答えて‘私は雪舟から影響を受けています’と仰った。雪舟は禅僧、画伯の絵はAnother Nature、ともに自然の持つ何物かを描いているのだ。
私は時間を超えた二人の巨匠が同じ心で筆を持ち描いてる様を想像した。そして同じ心は自然が放つ何物かに対する畏敬であると。とくに二つの絵から見えてくる筆のタッチ、動きからそれを感じずにはいられない。
この二つの絵を見せた時AIはその根底に流れる共通性を示すことが出来るかどうか?とふと思う。ヒトとAIの違いはこの辺りに存在するのでないかと。
内視鏡医としてヒトの消化管の内側を視て約40年。最近はAI診断が流行っているように感じる。ヒトとAIの診断の違いは何か?
今のAIは消化管の内側の表面画像所見の蓄積データのみから診断を行う。ヒトである内視鏡医は消化管の内側の所見のみならず、一人ひとり全く違う患者様のその時の身体の状態(体調、心の状態、病気の歴史・・・)を五感(六感も)を総動員して診断する。私が心配しているのはそのような最も楽しい診療の本質を忘れてAI診断に依存し過ぎていないか?内視鏡診療がヒトを診るのではなく物を観るだけになり下がってしまっていないか?ということなのです。
森永一衣さんの歌を聞き、山本画伯の絵を見ているとそんなことを思うのです。
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