Drive in Spring
先日の日曜は知人に誘われバーキン7という車でドライブを楽しんだ。約30年前の車だが元カーレース全日本チャンピオンの彼はメインテナンスもお得意で古さは全く感じない。屋根はなく、車高は低く、腕を伸ばせば簡単に地面に手が届く。公道を走れるまさにF1と表現できる車。
六甲の自宅から六甲山、夙川、芦屋を周回し自宅に戻った。晴天で初春の冷たい風が頬を伝い爽やかなドライブを楽しむことができた。運転を試そうとしたがATに慣れきった私にはクラッチが重くエンジンの回転をアジャストするのが難しかった。でも全身を使って車を操る感覚はどこかに置いてきた何かを思い出させてくれた(https://youtube.com/shorts/jVorpWrxcNA)。
モダンジャズフリークの私は今でも時々ジャズ喫茶に立ち寄る。神戸では元町にある‘Jam Jam’。LPレコードから真空管アンプ、ウーレーの巨大スピーカー(JBLの親戚)を通して放たれる音の洪水に身を委ねると時間の経過を忘れてしまう。自宅や車で聴くCDでは味わえない音の深いやさしさを感じる。アメリカでは近年LPレコードの売り上げが上昇し最近はCDを上回っている。日本でもLP人気が復活している。
LPはアナログ(analog)、CDはデジタル(digital)と言われる。analogはanalogyからきており‘似せる’という意味、digitalはdigit(数字)からきており数字で表すという意味であり音の作り方がまったく違う。LPは溝に刻まれた凹凸を針の振動に伝え音を出すので音域の制限がない。CDは録音時間と音の大きさを基準にして音を1と0の数字に置き換えて記録し音を出す。つまり 0と1に置き換えられる範囲から外れた音は、録音されずにバッサリと切り落とされてしまう。理屈でいうとこういうことになる。LPの音は本来の音に似せておりそのまま聴くことができるのだ。制限のない音と制限された音の違いがLPとCDの違いだ。
CDの音は今や信号として世界中に配信されPC,スマホがあれば時間や場所を選ばず聴くことが出来る。素晴らしいことだと思う。だがJam Jamで音の洪水に包まれていると失われているものがあることを感じないわけにはいかない。便利さが音の質を明らかに落としているのだ。
今の車は電子制御の塊であり車に乗るのではなく乗せられている。電子制御には程遠い刺激的なバーキンのドライブを経験するとまさに自分で操り乗っている感覚が蘇る。
車も音源も便利さの陰で明らかに喜び、楽しみの閾値の低下が起こっている。社会の進歩(AIがその代表)は人間の感性の劣化を促進しているのではあるまいか?
そんなことを思った春の一日でした。