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親友のご霊前へ

[2025.02.10]
昨日は昨年11月に亡くなった親友のご霊前にお参りした。ご自宅は奈良 五條市。早朝のドライブは晴天に恵まれ凍結もなく葛城山の麓を快調にとばした。20数年ぶりに訪れた彼の家は昔のままだったが奥様と数匹の柴犬が迎えてくれた。
 
ご霊前にまず手を合わせ私の人生に関わっていただいたお礼とお別れを申し上げた。
 
彼とは学生時代はたまに声を掛け合う程度で深い付き合いはなかったがお互い40代になった頃彼が副院長をしていた香芝の病院に内視鏡をしにいったことがご縁で交流が始まった。
 
彼はその頃画期的な膝の人工関節を開発し世界を飛び回りながら講演、新しい機器の開発、そして自分の病院での診療に日夜奔走していた。私もFUJIFILMとの関係から機器の開発、海外での発表、ライブデモなどが始まりだした頃で彼の活躍に刺激されながら午前様は当たり前の日々を過ごしていた。
 
何人かの患者様の紹介を通して彼の臨床医としての姿勢に触れ患者を任せられる医師であることが確信に変わっていった。70代後半の私の母の脊柱管狭窄症のOpeも彼にお願いしその後98才で天寿を全うした。
 
彼の医師としての姿勢は医療は患者のためという言葉に尽きる。徹夜になってもあらゆる可能性を考え準備しOpeに臨んでいた。その徹底したこだわりから身を守るためか彼はアルコールを嗜んだ
 
白い巨塔の医師 里見脩二を自でいくような彼の逸話を奥様から聞いた。大学で講師をしていた頃、教授からランダム化比較試験を指示されたがプラセボを効くよと患者を騙すようなことは自分には出来ないと教授と衝突し大学を辞し病院を始めたのだ。
 
私は医師としての彼を尊敬していた。彼と会うと言葉は少なくともお互い分かり合えたと思う。一年半前に会ったのが最後となったが昨年春頃から体調を崩していた。病状の経過を奥様から伺うとアルコールとの関連を考えざるおえなかった。
 
身を削りながり患者に尽くした彼の人生は本当に彼らしかったと思う。私には到底できない。でも奥様のお話を聞きながら急に寂しくなり涙が頬を伝った。私は同志を失ったのだ。
 
奥様から彼が気に入っていたコートを是非受け取ってほしいと言われた。彼の形見を時々羽織りながらこれからもできる限り臨床医として邁進することを誓った。
 
 
 
 
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